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● 華東医院に緊急入院
ほとんど訳が分からない状態で、華東医院に担ぎ込まれた。2階にある受付まで行ったものの「非常頭疼…」と呟いて、あとはぐったりしてしまう。空港から連れてきてくれた3人の中国の方々が、替わりにいろいろ喋ってくれた。「お医者さんが来るまで待っていて下さい」と日本企業在勤の小姐が通訳してくれる。横になって体温を測ると、39度近い熱があった。ストレッチャーの上でウンウン唸っている横で、さっきまで全くの他人だった中国人3人が心配してくれている。「もうすぐ私の上司がここへやって来ます。日本人です」と小姐が言う。私に気を遣って呼んでくれたのだろう。果たしてその上司氏も夜中11時近くというのに来てくれた。ものすごく頭が痛くても、見知らぬ人々に助けていただいている事だけは分かり、申し訳ないやら、有難いやらの気持ちで一杯である。でも体が苦しく、何ともならない。もどかしかった。
気がつくと車椅子に乗せられ、病室へ運ばれていた。ベッドに横たわった私に病院の人が「…朋友…電話」と身振りしながら言っている。友達に電話しろということなのだな、と朦朧としながらベッドサイドの受話器を取り、心当たりに電話したら、ずぐに飛んで来てくれた。それまでの間、見知らぬ中国人の3人と日本人の方はずっとついていてくれていて、私の友達と何やら話をしていき、帰って行った。よくわからないけれど、かなり遅い時間だったに違いない。お礼らしいお礼も言えずじまいだった。しかも後でその友人が教えてくれたのだが、入院するにあたって最初に必要なお金を、日本企業在勤の小姐が立て替えてくれていたという。嗚呼どうしよう…こんなに助けてもらって…心苦しい…でも有難い…アタマイタイ…とぐるぐる考えているうちに、到着してすぐに貰った鎮痛剤が効いてうつらうつらと眠ってしまった。
● のっ脳膜炎?!
翌日も友人が来てくれた。頭ガンガンで中国語など一個も浮かばない私には、通訳兼看病兼諸手続きの代理をしてくれる友人の存在は、筆舌に尽くし難いほどありがたかった。
血液検査からはじまって、CTスキャンやら胸のレントゲンやらお腹のエコーやら、脳波測定もどきの変な検査(頭に網をかぶって、洗濯バサミのようなものであちこち留められる。髪の毛が引っ張られて痛かった)まで、ありとあらゆる検査に廻された。病名が分からないと何も出来ないというので、当初は投薬も点滴もなかった。そのため頭痛と発熱と吐き気は治まらず、ほとんど地獄のような苦しみだった。
ところが二晩目を越して、目覚めてみると頭痛も吐き気もすぅっと治まっていた。病室のソファーに寝てくれていた友人に早速話すと、「案外、ただの風邪だったんじゃないの~?」などと笑っていた。
しばらくしてお医者さんがやってきた。「CTスキャンなどには異常なかったので、神経科の領域の病気である可能性がある。ついては骨髄から髄液を抜いて検査をしたい」ということである。そっそれってまさか腰椎穿刺というやつ?! あの、大の大人でもあまりの痛さに耐え兼ねるという…。症状が治まったばかりでホッとしていただけに、突然の通告に動揺しまくりだったが、それをしない限り先には進まないらしい。お医者さんと友人が私の答えを待っている。「どうする?」「…やるしか、ないよねぇ…」
そして恐怖の腰椎穿刺の時間がやってきた。何やら大きな天板をベッドと体の間に敷かれ、横向きで海老のように丸まる。看護婦さんが数人掛かりで押さえつけてくる。お、恐ろしい…背骨の下あたりをまくりあげられ、ぷすっと刺される。やはり痛い。でも比較的鈍痛で、どちらかというと私には頭痛の方が辛かった。針を刺されるところはこちらからは見えないし、終わってみると、正直言ってこんなものかという気がした。ただ事前の恐怖心と、針を刺されている時間の長さ(数分間だったような)、そして事後の絶対安静、これがキツかった。体を水平に保たねばならないため、処置以降2時間は枕さえも許されないのである。そして6時間、起きることができないのである。もう2度としたくない! とその時は思った(にもかかわらず帰国後2回も同じ検査をしたけれど、日本の方が楽だった)。
しばらくして結果が出た。「脳炎か脳膜炎でしょう。もう少し入院しなければなりません」なな何――!? なんだかよくわからないけど、恐そうな病気だぞ?!
高橋留美
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