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12月30日
ホテルで中華風朝食(25元)を食べる。おかゆに数種類のお漬物、そして4つ割りのガ
チョウのゆで玉子。「玉子おいしそうですね~」と勢い込んでぱくっと食べたら「ガ
リッ」! 殻が付いたままだった…。「これが当たり前なんですよ」とT氏は言うが、こ
れはちょっとしたカルチャーショックだった。口ん中痛い。しくしく。
そして準備をして、いざ古居群巡りへと出発する。今日向かうのは「西逓」「南塀」
「宏村」という3つの村である。この辺りの村は山奥にあって、文革の時にも車が入れな
かった為に、昔ながらの町並みが残ったそうである。
それもさもありなん、この先に本当に人なんか住んでるのか? というような山奥の道
を、牛などに邪魔されながら走ること数十分、ようやく最初の村「西逓」へ到着した。ど
この古居群でも同じ制度だったが、入り口の所で入場料(14~25元)を徴収され、その
後普通語を喋る若いガイドさんが街中を一回りしてくれるのである。
なるほど田舎の農村である。年季の入っていそうな石畳、そこかしこに積んである干し
草、生肉をぶらさげて歩くおばちゃん。それぞれの村に残っているお金持ちの家を巡っ
て、民家の柱に残った彫刻やら明代の台所などを見て廻る。3つ廻った中でも、西逓
(XiDi)は最も観光地化されてしまっており、民家の軒先で土産物を売っている人が多
く、ちょっとがっかりだった。洒落なのか、「西逓のCD」なんてものまであった。商品は
無骨な手作りの工芸品といったものが殆どだったが、一軒「干し豆腐」を売っているところ
があった。この村の名物らしく、丸いお豆腐を一週間くらい窓の外に吊り下げておくのだ
そうだ。直径20センチくらいで、一つ10元。煮しめたようなぶきみな茶色をしてい
る。「上海に買って帰って、みんなで食べましょう」というT氏に、「やめて下さいっ」
と思わず焦って制止してしまった。
小雨が降る中、次に訪れたのは『迷宮式的古村落』とうたわれる「南塀」。ここが非常に
良くて、「当たり」の村だった。この村は張藝謀監督、コン・リー主演の『菊豆』という
映画の撮影ロケが行われた場所だそうだが、ここが選ばれたのにも納得がいく。古式ゆか
しく、昔っぽい雰囲気満載である。人一人やっと通れるような細い路地に迫り来る石壁、
濡れそぼつ石畳…。そして人々は当時のまま、古居に住んでひっそりと生活を続けてい
る。この村に来てようやく、この国の歴史の重みをひしひしと肌で感じた。
お昼を運転手さんと3人で食べる。彼のお勧めで「世外桃源大酒店」というホテルの1
Fにあるレストランに行った。水餃子、トマトと玉子のスープ、野菜の炒め物等をたらふ
く食べていたら、同じ店の奥の広間から、昨日飛行機で一緒だったと思われる日本人のオ
ヤジ団体が「シェイシェイ」などと言いながらぞろぞろと出てきた。「オイシカッタよ」
などと日本語で小姐をからかいつつ、表に停まっていた大型バスに乗り込んで行った…。
3つめに訪れた「宏村」では、私達二人の直後にもう一人、旅の青年がやってきたので
一緒のガイドさんに村を案内してもらう。村の入り口に美しい橋が架かっていたが、村や
家の造りはおおむね、西逓や南塀と似たような感じだった。黙ってガイドさんの説明を聞
きつつ、相乗りの旅行者を見て「こんな年の瀬に一人で寒村に来るなんて、中国にも変
わった人がいるもんだ」と思っていたら、村を一回りした後で「じゃどうも、お先に」と
言われて、ようやく日本人だったと気が付いた。一体何が彼をこんな所までやって来させ
たのだろう…と帰りの車中で、我が事を棚に上げて余計な心配をしてしまった。
冷たい小雨は止みそうになかったが、ホテルに戻る前に車を降りて、屯渓という街のこ
れまた明代から続く商店街「老街」を見に行った。見る分には重厚な石畳が続く立派な商
店街だったが、夕食をそこで何か探そう、というつもりでいたらこれが甘かった。黄山登
山者をあてこんでいるのか、主に硯やら茶やらを売っている観光客向けのお店が多く、そ
の他は小間物屋のようなお店ばかりで話にならない。それに時間は夕方5時、日も暮れて
きて、どこもそろそろ店じまいを始めている。雨が強くなってきたので、ごみ袋に穴をあ
けただけのような非常に簡素な雨合羽を3.5元で購入。すっかり雨が染み込んでしまった
セルッティのコートの上から被ると、とりあえず寒さはしのげた。「寒いし、早くホテル
に戻りましょう」と何だか申し訳なさそうなT氏の言葉通り、タクシーを探すが全く見当
たらない。仕方なく三輪車オートバイの簡易タクシーに乗って帰途につく。「ごみ袋」雨
合羽をがさごそいわせて幌の中に乗り込み、冷た~い風を受けてほとんど凍りながら、よ
うやくホテルに到着。傘もささずに寒村の民家を見学して冷え切った私達には、普通のホ
テルがまるで極楽浄土のように見えた。
12月31日
私が世界で最も好きな紅茶、それはキーマンティーである。トワイニングのティーバッ
グセットの中にあって、ひときわ鮮やかな緑色のパッケージのそれこそは、私の中で27
年間ぶっちぎりの一位をあげてもいいくらい、お気に入りであった。そして今日、景徳鎮
に行く道すがら、立ち寄る祁門(QiMen)という小さな街が何とその紅茶の発祥の地だと
いう。「あっあのキーマンティーって、中国産だったんですか?!」と驚き喜ぶ私。しか
もそれはそれは小さい街なのである。地図で見ても、小さな活字でしか載っていない。あ
んなに世界的に有名な紅茶が、ここから産出されていたなんて…と感慨ひとしおである。
そんな訳で、私はこの日をすごく楽しみに待っていた。「本場のキーマンティーを何とし
ても手に入れるのだ!」と気合い充分、鼻息も荒く朝早くからの出発である。
この日は運転手さんの奥様も一緒に車に乗っていた。なんでも景徳鎮から戻る長い時
間、一人で運転するより家族と一緒の方が退屈しない、という話である。日本では公私混
同と言われそうで考えられない事だけれど、この合理主義は慣れるとなかなか心地良い。
一応ご挨拶がわりなのか、奥様から、黄山名物の貢菊茶を6袋もいただいてしまった。
数時間後、祁門に到着。意外にちゃんとした街である。街の大通りの突き当たりに小山
状の茶畑があり、その中腹には「祁門の紅茶は世界的に有名である・〓小平」という意の
看板がどーんと建っていた。といっても途中の車内で話していた「お洒落な喫茶店でもあ
ればいいですね」何ていう希望はものの見事に打ち砕かれた。全く観光地的ではない街だ
(そりゃそうだ)。けれども街のそこかしこにキオスクのような紅茶売りの出店がある。
早速、上は100元から下は15元まで、あらゆるキーマンティーを買いまくるT氏と
私。
紅茶を買う以外は特に見どころもないようだったので、早々に車に乗り込み、景徳鎮へ
向かう。途中で奥様が買ってきたおミカンを4人仲良く分け合いつつ、悪路を走る。なん
だかピクニックみたいだなぁ~と思いつつウトウトしていると、更に数時間後、景徳鎮市
内へ入った。窓の外を眺めると、まだ街の中心部に入っていないのに、道路の両脇には焼
き物屋が並んでいて壮観だった。「おぉ~さすが景徳鎮」「きっと街は焼き物だらけに違
いないですね」などと言いつつキョロキョロする。中国各地から買い付けの業者が来るの
か、周辺には各地の料理屋も並んでいる。そして車は「景徳鎮合資賓館」に到着。予約し
てくれた上海在住の友人に「景徳鎮で一番いいホテルを探したんですよ」と言われた割に
は街の中心部からも遠いし、「そこそこ」感は否めなかったけれど仕方が無い(とはいっ
ても後で街の中心のホテルを見学したら「そこそこ」どころではない状況で、結果的には
友人の言葉通りであった)。
ホテルで一息ついた後、早速街を探検しに行く。まずは駅に行って翌日の南昌行きバス
の時刻を確認。駅の周りは殆ど人通りが無く、閑散としていた。地図を見て、繁華街らし
き場所へ行ってみたけれど、昼食をとれるようなお店が見つからない! 確かに街として
は有名だし大きいけれど、観光地と言うよりも、住民による住民のための街なんだなと思
い知らされる。例えば日常的に使う洋服屋さんや食材屋さんはあるけれど、外食するよう
なお店などは無いのである。その時は何とか見つけた火鍋屋で簡単に済ませた。
ご飯はともかく、驚いたのは、街の中には焼き物の姿が殆ど見られなかった事である。
「景徳鎮といえば有名だし、いいお茶碗でもあれば買いたいですね」なんて期待していた
のが嘘のように、物の見事に何も無い。本当に単なる中国の地方都市である(おそらく良
い焼き物は景徳鎮から北京や上海などの都会へ流出しているのだと思われる。あとは、来
る途中で見たように、地方から安いものを大量に買いに来る業者の方が多いのだろう)。
仕方が無いので「景徳鎮博物館」なるところに行ってみた。どうやら昔、元の時代に窯が
あったところに作った博物館らしく、街外れの小山の上まで登った。入場料10元。埃の
かぶったショーケースに入っている焼き物の展示はいささか貧弱ではあったけれど、展示
とは別に実演コーナーがあり、実際に職人さんがろくろを回したり、型をとったりしてい
るところを見られたのは本場ならではの面白さであった。
することがないので公園に張られたテントの中で開催している出し物を見に行く。3.
5元。全くやる気の無さそうな素人っぽい芸人が、交代で一人ずつ歌ったり、踊ったりし
ている。うらぶれた感じが何とも言えない。3人目くらいであきらめ、早々にホテルへ
戻ってごろごろする。はなから諦めてはいたけれど、BSは入っていないのでNHK紅白
歌合戦は観られないようだ。ローカルの年越し番組でもやっていないかと思ったら、中国
では旧正月がメインで、元旦はさほど重要視されていないらしく、殆どの局が普通にドラ
マなどを放映していた。そんな中1つだけ上海のTV局で、世界各国から集まった歌手や
ダンサーがショーをするという、不思議な年越し番組をやっていたので、T氏の部屋で一
緒に観賞した(ちなみに日本からは栗原小巻の新年メッセージが届いていた)。
日本同様に「蛍の光」が流れて、派手なお寺の除夜の鐘が映り、いよいよカウントダウ
ン。「日本とあんまり変わらない内容ですね」などと言いつつ、下戸の私達はホテルの売
店で買った缶ビールで、形ばかりの乾杯。江沢民の新年の挨拶を見てから、眠ることにす
る。外から爆竹の音でもするかと思ったけれど、窓を開けても静かな闇が広がるばかりだっ
た。
(つづく)
高橋留美
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