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私は東京で働く27歳の平凡なOLでしたが、このたび上海病に罹ってしまいました。初めて中国を訪れたのは98年6月。上海を拠点にして無錫・南京・南通を廻る旅行をしたのがきっかけで、中国が、とりわけ上海が、すごーく好きになってしまったのです。それから2ヶ月に1回の割合で足しげく通っておりましたが、そんな私にこの冬休み、またもや中国旅行のお誘いの声が掛かりました…。
中国社会に関わって約20年、関連書籍も数多く出版している旧知の著述業のT氏が、冬休みに、奥様の里帰りに上海に行くので(奥様は無錫出身の中国女性)一緒にどうかというお誘いだった。どうせ日本にいてもお正月はゴロゴロして過ごすだけだし、この際中国で1999年を迎えるのもよかろう、と、何も考えずについて行くことにする。ところが今回はどうやら、やたら田舎の方に行く予定になっているらしい。お正月だけT氏妻は無錫の実家へ帰り、T氏は別行動で地方視察の旅に出たい、との話になっているのだ。
「奥様と一緒に無錫へ帰らなくていいのですか」と訊ねたところ、
「周りはみんな無錫語で分からないし、僕もまだ中国で行っていないところを見てみたいから」という。もちろんT氏妻も誘ったのだが、彼女は上海でも長く暮らしてきた都会人なので「何で自分の国に帰るのに、わざわざそんな田舎に行かなくちゃいけないの」という姿勢で、地方視察の旅には全く興味を示さなかった。まあ、至極当然な反応であろう。
というわけで、T氏と私で早速作戦会議を始めた。行きたいところは沢山あったけれど、飛行機の日程などの都合で、今回は上海からさほど離れていない黄山・景徳鎮 ・ 南昌を攻めることになった。特に今回は、南昌に行くことになったのがポイントである。広く知られているように中国には数々の省があり、その中でも南昌のある江西省というのは非常にマイナーというか、通好みというか、 要するに日本人がわざわざ観光に行くようなところではない、地味~な省だそうである。地図を見たら、なるほど、知っている地名が殆ど無い。誤解を恐れずに言うと、何となく日本における岐阜県に通じるような気もする。
「いやあ、僕も沢山の中国通日本人と会ってきましたけど、南昌に行った人なんてほとんど会ったことが無いですからねえ」と、T氏は嬉しそうである。早い話が、彼が今まで足を踏み入れたことのない江西省に行くということで、このような旅程になったのである。
「これでみんなに一歩先んじた」と言わんばかりの嬉々とした表情のT氏を見ていると、「中国マニアっていう奴らは、本当にもう…」と、よくわからない気もしてくるが、こんな機会でもないと一生行かない土地であろうから、深く考えずに御一緒させていただく事にする。因みに私の中国語会話能力は果てしなくゼロに近いけれど、同行者が付いてくれることだし、まあ大丈夫だろうと、のんびりと旅支度を進めていた。
友人達からは「半年で4回も上海に行くばかりか、そんな訳の分からないところへ行くなんて…」「本当に物好きだよね~」「凍死しないようにね」「もしかしてマゾ?」等々、様々な賞賛(?)の声を浴びる。「いやあ、私も中国マニアの世界に片足を突っ込んでしまいまして」と言うと、「正月にわざわざそんなところまで行くのに、まだ片足のつもりなのか。甘い。両足に決まっているじゃないか!」と、各方面からお叱りを受けた。
12月28日
この日夕方のUA便で東京から上海へと向かう。出発前「辺境の地へ旅立つんだから」と、半年ほどキープしてきた長い爪を思い切ってバシバシと切ることにした。久々に素の色に戻した、子供のような自分の爪を見て「これから行くところにはマニキュアなんか要らないんだよなぁ」と独りしみじみ感傷に浸る。
他に適当なものがなかったので、お気に入りのセルッティ1881の真っ赤なコートを羽織って(後日それを死ぬほど後悔することになった)、T氏夫妻と合流、成田から出発!
特に問題も起こらず上海空港に到着。いつものことながら「上海」の赤い文字に(また来てしまった…)と旅愁を誘われる。T氏妻の友人2名が出迎えてくれ、宿泊先へ。
時間は夜の11時を廻っていたが、翌日の航空チケットを押さえてくれていた別の友人と会うべく、待ち合わせ場所へ向かう。友人にお土産を渡して、中国東方航空公司のチケットを貰うと、名前や便名などが手書きであった。今思うとウブな話だが、この手書きの航空券には本当にびっくりした。何しろ中国の国内線は初めてなのだ。(本当に大丈夫なのか)と不安で一杯になり、まじまじとチケットに見入る。見入っているのは私一人で、こちらの同行者も在上海の友人も、そんな事は全く意に介していなかった。何故だ。これが当たり前だというのか…。しかも宿泊先に帰ったら、お気に入りのコートの裾が真っ黒に汚れている! タクシーの中でやってしまったらしいが、上海でもう汚してしまうなんて…大ショック。翌日からの旅行に初めて不安を覚えつつ、この日は早々に眠りについた。
12月29日
この日向かうのは黄山だけれど、ひねくれ者の私達に登山の予定はない。なんでも黄山のふもとに、明代からそのまま残っている街があるというので、そこを見に行くのである。「イ(黒多)県」という地域だそうだが、何とそこは外国人未開放地域なのだそうだ。「そんなところに入ってしまって大丈夫なのですか。何か、軍事機密が隠されているとか…」と小心な私に「いや、単に田舎だから開放していないだけでしょう。旅行会社にパスポートのコピーをFAXで送れば問題ありません」とT氏。それにしても、上海のような都会でさえ、FAXひとつ送信するにもすごく苦労するんですね…ホテルのビジネスセンターに行っても「今担当が居ないからわからない」何てにべもなく言われてしまったり…結局、送信だけで半日かかってしまって、いやあまいった。
夕方の中国東方航空公司で、上海から黄山へ向かう。こんな年末にそれほど飛行機なんか飛んでないだろう、と思ったらさにあらず、上海空港はこれでもかというほどの搭乗案内アナウンスの海だった。国内線のロビーも見渡す限り人、人、人。さすが、中国。
T氏と2人で飛行機に乗り込むと、ジャンボジェットしか乗ったことがない私は、機内のあまりの小ささにびっくりした。天井が低くて、真ん中に通路が一本しかない。その旨をT氏に伝えると「何を言っているんですか」と逆に驚かれてしまう。どうやら私達の乗った飛行機は中くらいの大きさで、これより小さいものも世界中にゴロゴロしているという。そうなんだ…でも座ったままで天井に手が届くなんて…とびくびくしていると、日本語が背後に飛び交っているのに気がついた。「?!」…どうやら、物好きは我々だけではないらしい。某大手旅行会社の黄山ツアーのようである。中年男性が十数名だろうか、九州弁を話しながらスルメなどを交換しあってガハハガハハと歓談している。変な話、なんだかほっとしてしまった。
一時間弱の静かなフライトの後、真っ暗な黄山空港へ到着した。とにかく暗くて、赤い「黄山」という文字以外は何もない、だだっ広いグラウンドのような所に、どーんと降ろされた。降りた後の通路の案内も何もなく、みんな飛行機の下をくぐってぞろぞろと歩いて行く。「みんな行くからあっちが出口でしょう」と付いて行くと、公園の鉄棒のような、申し訳程度のゲートが星空の下に設けられていた。あまりの簡素さにまたまたびっくり。
旅行会社「中国安徽省海外旅遊総公司」の担当氏と、チャーターした車の運転手氏が迎えに来ていてくれていた。時間は既に夜9時ごろだったので、宿泊先「黄山国際大酒店」へと向かった。2人に日本から持ってきた心ばかりのお土産を渡し、景徳鎮までの旅費を支払う。ホテル2泊と、車のチャーター代、手数料を含めて、2人で3280元。
いよいよ翌日から中国の秘境(?)を目の当たりにするのだ。非常に楽しみである。
(つづく)
高橋留美
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