かつて魯迅が「上海蟹を初めて食べた人は最も勇敢な人だ」という名言がある。言うまでもなく、彼は本当に最初の人を指しているわけではなく、このことを例に挙げて、人々の探究心を奨励し、人々に勇気をもってタブーを突き破るように呼びかけたのだが。
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| では、いったい誰が最初に蟹を食べたのであろう。少なくとも五六千年前に、陽澄湖畔に住んでいた原住民は、シナモクズガニはじっくりと煮て味わうことができるということを知っていた。近年、いくつかの考古遺跡で、多くの水産物の骨、甲羅の遺物も発見されていることからその時代には上海蟹を食べる習慣があったことが分かっている。 |
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その後、歴史上で初めて上海蟹を食べた人物として『蟹経』に名を残し、現在も上海蟹のふるさと陽澄湖畔に祭られているのが「巴解」だ。 |
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| 陽澄湖上海蟹は金色の爪に黄色い毛、青い背に白い腹、威風堂々たる形相をもっている。もともとこの蟹の甲羅が青色なのは、湖水が澄んでいたためで、泥の色には染まっていない。腹が白いのは、湖底にすき間なく広がっているホウライシダ(湖草)がそれを擦り洗うためである。つるつるしたガラスの上に置いても、その硬くて丈夫な爪で非常な速さで横歩きできるのは、長期にわたって湖底の固まった土の上で鍛えているからである。 |
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| 「今から4000年前、「巴解」という役人の指揮のもと、長江デルタ地帯の湿地帯を広く穀倉地帯にするために治水工事が行われた。当時、この辺りの湿地帯はまだ誰一人として手を付けておらず、灌漑工事をするには、湿地の草を焼き払う必要があった。ここにはもともと「虫」と呼ばれる生物が広く生息していたが、これも草と一緒に集めて処分する必要があった。「虫」を一ヶ所に追い込み、葦と一緒に火を放つ、みるみるうちに火は一面を覆い尽くし、最後にそこには、焼き尽くされた草と「虫」が残っていた。あまりの香ばしさに、焼けた「虫」を食べてみたところ、これが甘く美味しいので、この「虫」を治水工事の責任者である「巴解」の名「解」と「虫」を合わせ、「蟹」と呼んだ。以来この虫は、「蟹」と呼ばれるようになった。」 |
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写真の銅像を見ても分かるように「巴解」が蟹を踏み潰している。すなわち「解」の足の下に「虫」がいるということで「蟹」という漢字ができたといわれている。 |
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2003'' 冬 Konok |