上海蟹。正しくはシナモズクガニ。9月から11月頃蘇州近郊の陽澄湖や無錫太湖で採れ
るものを特に上海蟹と呼ぶ。
一般的には「蒸蟹」という食べ方が有名である。生きた蟹をタコ糸でしっかりと結びシ
ソの葉を敷いたセイロで一気に蒸し上げる。青黒い甲羅は蒸し上がりとともにその色を鮮
やかな琥珀色へと変える。そのアツアツの蟹を鎮江産の黒醋でいただくのだ。やはりこの
食べ方が最高である。中華料理と接するようになりかれこれ10年近くになるが上海蟹の
ような単純な調理法は非常に少ない。この単純な調理法は上海蟹のミソが重視されている
結果であろう。
調味料も黒醋と生姜のきざみと単純である。この鎮江産の黒醋、もともとは揚子江域の
米(醋の原料)の産地でもある鎮江が今から1300年程前に隋の煬帝が洛陽と杭州を結ぶ
大運河を完成させ江南運河の起点となったことにより、全国へと広がって行ったと言われ
ている。色は墨のように黒く、味はすっぱさの中にどこか苦みも感じさせる。この苦みこ
そがカニを食べた後の口の中に残るあのふんわりとしたうま甘みを出すことになる。
また生姜のきざみだが、一つにはご存知の通りカニの生臭さを消す作用がある。そし
てもう一つの理由が興味深い。ある料理に詳しい友人の話では、料理(中華)には「陰と
陽」がありこの上海蟹(陰)と生姜(陽)の関係もそれであると言う。上海蟹を食べると
体温が低下する。そこで調味料の中に生姜を加え体温の低下を防いでいる。食べ物にも陰
と陽があるというのは中国らしい。
またこれ以外の食べ方では甲羅に少し紹興酒を入れいただくという方法もある。紹興酒
の甘みとミソの深い味わいがいつまでも口に残る。是非試していただきたい。
そして食べた後には龍井茶(杭州を産地とする緑茶)で手のニオイを落とそう。タオル
や石鹸ではなかなか落ちない蟹の生臭さが簡単にとれてしまう。
ここ数年間何度となくカニを食べる機会に恵まれた。「9月の雌、10月の雄」(旧暦)と
言われるように出始めは卵を持った雌が美味しいが11月を超え寒さが日増しに厳しくな
ると雄のミソが味を増してくる。この時期日本から多くの人が上海蟹を食べにやってくる。
しかし実際食べさせると「噂には聞いていましたがこれが上海蟹ですか…」と少し物足り
なそうである。確かに私も上海蟹を初めて食べたときは日本のカニのほうが数段美味しい
と思ったし、今でもそう思う。
それでは何が上海蟹を有名にしたのか?先日、タイから日本へ帰国した友人と各国の食
文化について話していると「最近になりようやくトムヤムスープが世界三大スープの一つ
とされる理由がわかった」と言っていた。彼が言うには帰国して3ヶ月もすると、食事中
のみならず鉄道で移動中など普通の生活をしている時にまで突然その味が懐かしくなり、
食べたさのあまり舌がしびれて来ると言うのだ。おいしい物にはわけがある。上海蟹も基
本的には蒸すだけという極めて単純な調理法なのでレストランによって味が変化するとい
うことはまずない。しかしその味の奥深さにはいつも驚かされる。確かに衝撃的な美味し
さはないかもしれない。しかし秋の深まりとともに確実に味を増していく。そんな味の奥
深さが上海蟹を有名にしたわけのように思う。
そして、そんなことを知ってか知らぬか、上海人のあいだで「今年は何匹食べた?」
などという会話が交わされる季節がまもなくやってくる。
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