上海エクスプローラー
(本稿は1998年に掲載されました)

プロの観光案内 外灘の建物
真田 晃(元上海総領事館領事)

上海の租界は、「租界」の説明でご紹介したように黄捕江岸を起点として東に向かって形成されていきました。つまり、この外灘は上海祖界の起源となる訳です。外灘では、かって各国の貿易商、銀行などが上海での拠点となる建物を競って建てましたが、外灘に拠点を構えることは、そのステ-タス・シンボルとしての意味合いもあったようです。したがって、これら建物は彼らの栄枯盛衰とともに歴史の中でさまざまな変遷をたどってきています。

外灘は英語ではバンド(bund)と呼ばれますが、バンドとはそもそも人工の土手や堤防を意味しています。植民地下にあったインドで、港に臨み居留者の建築が建ち並ぶ今で言うウォ-タ-・フロントをバンドと呼ぶようになり、さらに中国でもこの呼び名が用いられたとされています。もとは一般的な名称であったものが、今では上海の代名詞のように使われている訳です。

それでは、現在外灘に立ち並ぶ建物について、旧共同祖界の北の端、蘇州河岸、ガ-デン・ブリッジ(外白渡橋)から南の端の延安東路の三叉路まで、中山東一路(旧称黄浦灘路)に沿って北から順番に紹介していきたいと思います。なお、旧フランス祖界の黄浦江岸も外灘に含まれますが、とくに目立つ建物も残っていないため、紹介は割愛させていただきます。

  1. 旧大英帝国領事館(中山東一路33号)
  2. 現在、33号大院として広いスペ-スの中に政府機関が集まっている一角が旧大英帝国領事館です。中心となる建物は、現在1号楼と呼ばれ道路わきの鉄製のフェンスごしに芝生の庭を隔てて見える建物です。この建物はこの地では二代目の建物で1872年に建てられており、様式的には植民地建築のスタイルを残しています。なお、初代の建物は1852年に建てられ、1870年に火災で焼失していますが、これは、第二代の上海領事であり、後に我が国に渡り 「大君の都」を著したことで有名なR.オ―ルコックが自ら設計したものとされています。

    編集注:この建物は英国ルネッサンス様式とされます。現在(2005年8月現在)は、残念ながら敷地内へは入れなくなっています。


  3. 旧メソニック・ホ―ル(中山東一路31号)
  4. 正面には友誼商店旧工芸商場服務部の表示があり、裏手の33号大院の敷地に面した入□には国貿促進上海市分会の看版がかかる建物ですが、はっきりいってこれと言った印象の無い建物です。1912年に建てられ、メソ二ック・ホールと呼ばれ、1930年頃に改修されたこと以外は調べがつきませんでした。

    編集注:現在、この建物は存在しません。


  5. 旧インド・スエズ銀行(中山東一路29号)
  6. 中国光大銀行の入る建物ですが、これは、1914年にフランスの銀行インド・スエズ銀行(東方匯理銀行)の上海分行として建てられたもです。設計は上海を本拠とし、当時東アジア最大の建築設計事務所であったアトキンソン&ダラス事務所で古典主義様式であるネオ・バロック様式に属します。

    編集注:正確には現インドスエズ銀行の前身であるフランスのインドシナ銀行(Banque de l’ Indocine・東方匯理銀行)の上海支店として建てられました。

  7. 旧グレン・ライン・ビル(北京東路2号)
  8. 現在の上海人民広播電台となっている建物で.中山東一路側の入□は塞がれ北京東路に面する玄関が入□になっています。1922年の竣工で、設計は当時上海で最大規模を誇ったパーマー&ターナー事務所(公和洋行)でした。1870年に香港で設立されたイギリス系の建築事務所で、1910年頃から上海に進出してきていました。現在も香港を拠点に活動を続けています。この事務所は、外灘に現存する24の建物のうち9棟の設計を行っています。

    編集注:現在(2005年8月現在)、この建物は、となりの旧インド・スエズ銀行ビルと並び中国光大銀行が入っています。


  9. 旧ジャ-デン・マゼソン商会(中山東一路27号)
  10. 現在、外貿大楼と呼ばれ上海市対外貿易公司等が入るビルです。この建物は、租界時代の上海で大きな経済力を誇った貿易商社ジャーデン・マゼソン商会(抬和銀行)の二代目社屋(1920年竣工)でした。同社は1832年にマカオで設立された後、開港直後の上海のこの場所に拠点を構えました。このため、共同租界での地番は1番となっていました。

    編集注:現在(2005年8月現在)、一階には元禄回転寿司が入っています。


  11. 旧ヤンツ・インシュランス・アソシエーション・ビル(中山東一路26号)
  12. 以前は上海市食品進出口公司が入っていましたが、現在は改装中のようです。このビルは地盤の不等沈下のためか、正面から見ると左側に傾いて見えます。1916年の竣工、パ-マ-&タ―ナ-事務所の設計でした。

    編集注:現在(2005年8月現在)中国農業銀行が入っています。


  13. 旧横浜正金銀行上海支店(中山東-路24号)
  14. 現在中国工商銀行の支店が入っている建物です。旧横浜正金銀行は1893年に上海に支店を開設していましたが、この建物はパーマー&ターナー事務所に設計を依頼して1924年に竣工したものです。当時は甲冑姿の武士や鳳凰、ブッダの頭像などが装飾として施されていたそうですが、現在では見ることが出来ません。

    編集注:当時は、さらに満鉄、日本商工会議所等、日系の企業が多数支店を構えていました。甲冑姿の武士のブロンズのレリーフが現存しています。


  15. 旧中国銀行総行(中山東一路23号)
  16. 現在の中国銀行上海分行となっている建物です。この建物は、寄棟造りの屋根を持つなど他の外灘の建物と異なり、中国的な様式を持っています。中国銀行は1904年に設立された戸部銀行が前身で、1912年に中国銀行となりましたが、当初北京に置かれた総行は1927年に上海に移されました(上海支店は1905年の開設)。上海では、当初、この場所にあった旧ドイツ人クラブの建物(第1次世界大戦後中国に接収されたクラブ・コンコルディア)が用いられていましたが、1937年に現在の建物に建て替えられました。設計はパーマー&ターナー事務所と中国銀行所属の中国人建築家陸謙受によるものです。

    編集注:中国銀行上海分行は現在(2005年8月現在)は浦東新区陸嘴に移転しており、現在このビルは改装中となっています。



  17. 旧サッスーン・ハウス(南京東路20号)
  18. 現在は、南楼とあわせて和平飯店となっていますが、ペアで建てられてものではありません。北楼は、サッスーン財閥が自らの本拠とすべく建設したものです。1929年の竣工で、サッスーン・ハウスと呼ばれました。所有は、サッスーン財閥が経営していた3つの不動産会社の一つであるキャセイ・ランド株式会社でした。1階から3階は銀行や商店に賃貸し、4階はサッスーン配下の会社の事務室とし、5階から10階は、キャセイ・ホテルとして用いられました。トンガリ屋根の下の11階は、当時のサッスーン財閥の当主であったヴィクタ・サッスーン(1861-1961)の自室として使われました。

    この建物は、外面は列柱などは用いず、トンガリ屋根の三角形の部分の直線模様やその根元の部分のギザギザ模様など、平面的な中に幾何学的な模様を配する典型的なアール・デコ様式を採っています。また、建物内部も、ロビー照明器具や天井部分の装飾、だんだら模様の大理石の床などあふれんばかりの幾何学模様のアール・デコ模様の装飾が施されています。



  19. 旧パレス・ホテル(南京東路23号)
  20. 北楼と南京西路をはさんで向かい合っており、1階は粗石積み、2階以上は赤煉瓦の6階建ての建物です。1906年にパレス・ホテル(匯中飯店)としてオープンしました。香港上海ホテル株式会社が所有・経営したもので、サッスーン財閥とは関係のない建物です。設計はイギリス人のウォルター・スコットで、様式的には当時イギリス本国で好まれたヴィクトリア・ルネサンス様式(更に細分すれば、クィーン・アン・リヴァイヴァル様式に属するものです)。建設当時は、建物の屋上の四隅に塔が設けられていましたが、今はなくなっています。南京路に面した入り口の車寄せの上に竣工の年である1906の数字が刻まれています。また、1927年に蒋介石と宋美齢との結婚披露宴の場所としても知られています。

    編集注:中山東一路側には中信実業銀行の入り口があります。


  21. 旧チャ-タ-ド銀行上海支店(中山東一路18号)
  22. 現在、上海市家用紡績品進出口公司が入っている建物です。この建物は、1858年に上海に支店を開設した英国の銀行、チャータ-ド銀行の上海支店で、この場所での二代目の建物でした。パ-マ-&タ―ナ-事務所の設計で1923年頃に竣工したものです。なお、チャ-タ-ド銀行は中華人民共和国設立後も上海での支店業務を引続き認められた銀行の1つです。

    編集注:現在(2005年8月現在)は高級ブランドショップやレストラン、バーが入居する「Bund 18」となっています。


  23. 旧ノース.チャイナ・デイリー・ニューズ&へラルド社屋(中山東一路17号)
  24. 現在、桂林大楼と呼ばれ、AIA保険公司が入る建物ですが、1922年に建てられたもので、上海で有力英字紙ノース・チャイナ・デイリー・ニューズ(字林西報)を発行していた同社の社屋でした。設計はレスター、ジョンソン&モリス事務所ですが、同事務所はこの建物を含め古典主義様式の建物を残しており、他に南隣の旧台湾銀行、南京路のデバ-トであった旧先施公司(1917年竣工)等を手掛けています。


  25. 旧台湾銀行上海支店(中山東一路16号)
  26. 現在、招商銀行が入っている建物ですが、1927年に竣工した旧台湾銀行(当時台北に本店を置いていた日系の銀行)の上海支店でした。


  27. 旧露清銀行上海支店(中山東一路15号)
  28. 現在、外貨取引センターが入っている建物ですが、これは1901年に旧帝政ロシアに本拠を置いていた露清銀行(華俄道勝銀行)の上海支店として建てられたものです。ルネサンス様式のこの建物は、ドイツ人のべッカルの設計によるものです。なお、露清銀行は1917年のロシア革命以降は本店をパリに移し業務を続けていましたが、1926年に倒産し、上海支店も閉鎖されました。


  29. 旧交通銀行(中山東一路14号)
  30. 現在、上海市総工会が入る建物ですが、これは、1940年に建てられた交通銀行とされています。この建物が建つ前は、英国マーカンタイル銀行(有利銀行)の上海支店が置かれていました。

    編集注:現在(2005年8月現在)は上海銀行が入っています。


  31. 旧江海関(中山東一路13号)
  32. 現在の上海海関で、中央の時計台、15分毎の鐘の音で有名な建物ですが、この場所では、1857年竣工の初代、1893年竣工の二代目に続く3代目の建物となっています。開港当初の江海関は十六舗に置かれていましたが、1853年の小刀会の事件でその地を追われ共同祖界内に移りました。しかし、その業務は混乱し、徴税機関として機能しない状況になりました。そのため、1854年の7月には英・米・仏3国の領事と上海道台との間で江海関に外国人の官吏を置くことを取り決めました。これが、江海関が中国の行政機関でありながらの外国人の支配を受ける端緒となりました.共同祖界内では、蘇州河北岸、南京路の江西路□と移転した後、1857年に現在地に移っています。現在の建物は、パーマー&ターナー事務所の設計で1925年に竣工していますが、様式的には正面の凹凸が少なくなり、古典様式からアール・デコあるいはモダニズムへの過渡期にあるものとされています。


  33. 旧香港上海銀行上海支店(中山東一路11号)
  34. 現在は浦東発展銀行、その前は上海市人民政府の建物です。香港上海銀行(匯豊銀行)は1864年香港で設立され、翌65年には上海支店を設置しています。この場所には1877年に初代の建物が建てられ、現在のものは1923年に竣工した2代目の建物となっています。

    この建物の設計は、パーマー&ターナー事務所で様式的には英国のエドワーディアン・バロックの流れを汲む新古典主義建築とされています。壮大なド-ム、正面の花崗岩による化粧貼、コリント式の巨大な列柱などまさに壮麗といえる建築です。英国人がスエズ運河とベーリング海峡の間で最も素晴らしい建築と形容したのも額けます。建物内部にも様々な装飾があり、特に八角形をしたエントランス・ホールは周囲にド-ムを支える大理石の円柱が配され、天井のパネルには神々の姿や世界の金融の中心地8都市(ロンドン、パリ、ニュ-ヨ―ク、バンコク、上海、香港、東京、カルカッタ)の風景が描かれるなど素晴らしいものとされています。

    なお、建設当時は正面玄間の両側に、香港ドル紙幣の裏側に描かれているような2頭のライオンのブロンズ像が置かれていしたが、これを手で撫でると何か御利益があると信じられていたため.その爪と尾がテカテカに光っていたとの話があります。

    編集注:建物の3階には喫茶店「BONOMI CAFE」があり、自由に入ることができます。建物の前には現在ライオンのブロンズ像が2頭設置されています。


  35. 旧輪船招商局(中山東一路9号)
  36. 現在上海港務監督等が入っている建物です。輪船招商局は1872年に清朝のもとで北洋大臣であった李鴻章が設立した汽船会社ですが、この建物はその総局として18世紀末に建てられたものです。

    編集注:現在(2005年8月現在)改装中です。


  37. 旧大北電報局(中山東一路7号)
  38. 現在、バンコク銀行が入っている建物です。ここは主として中国国内、朝鮮半島、日本向けの電報を取り扱った電報会社である人北電観局の建物で、1907年の竣工となっています。様式的には.ネオ・バロック様式に属します。


  39. 旧大清銀行(中山東一路6号)
  40. 現在、改装中のビルですが、1893年以前に建てられた大清銀行とされています。正面を見ると、1階、2階、4階の窓・入り口の上部がアーチとなっていますが、それぞれ異なる形なのがこの建物の特徴です。様式的には旧パレス・ホテルとおなじクィ―ン・アン・リヴァイヴァルに属します。もともとは赤陳瓦造りですが、現在は壁面に白い漆喰がぬられています。


  41. 旧日清汽船上海支店(中山東一路5号)
  42. 現在、華夏銀行が入っています.日清汽船は、中国の沿岸、内航海運を取り扱っていた日本の商船会社4社(大阪商船、日本郵船等)が中国関係の業務を一本化するため1907年に設立した会社で、この建物は上海支店として1921年に建てられたものです。

    編集注:コンチネンタルレストラン「M on the Bund」はこのビルに入っています。


  43. 旧ユニオン・アシュランス・カンバニ-ズ・ビル(広東路17号)
  44. 現在は中山東一路側には入口がなく、広東路側から入る建物です。1916年の竣工で、1階から5階までは所有者のユニオン・アシュランス社が使用し、最上階の6階は屋上庭園付きの高級マンションでした.設計はパーマー&ターナー事務所で、同事務所が最初に手掛けたものでした。様式的にはネオ・バロックに属しますが、縦方向のラインが強調され、ア-ル・デコ様式の一歩手前のスタイルとされています。

    編集注:現在は、「The Three on the Bund」として、ブランドショップ、スパ、レストランなどが入ります。


  45. 旧シャンハイ・クラブ(中山東一路3号)
  46. 現在、東風飯店の建物です。英国人を中心とする親睦団体であるシャンハイ・クラブ(英国総会)の建物として、1912年に竣工しました。このクラブは非常に格式が高く、会員数は300~400人でわずかの米国人、フランス人、ドイツ人及び2人の日本人を除けばすべて英国人で、シャンハイの英国人の牙城と言えるものでした。イギリス様式の建築で、設計は、当然のことながらイギリス系のタラント&モリス事務所が手がけました。しかし、1909年タラントが死去したため、これ以降の内装設計は、日本人建築家下田菊太郎(旧帝国ホテルの設計をフランク・ロイド・ライトと争ったことなどで知られている)が引き継いでいます。彼の設計により、バーには世界一(東洋一?)長いカウンターを設けたとされています。新中国建国後、1956年には海員クラブとなり、1971年から現在の東風飯店となっています。入り口の擦り減った大理石造りの階段や、建設当時イギリスから輸入され、今も健在のエレベーターは、充分80年の年輪を感じさせてくれます。

    編集注:現在この建物は閉鎖されています。


  47. 旧マクベイン・ビル(中山東一路1号)
  48. 延安東路の突き当り北側の角の建物で、現在では太平洋保険公司が入っています。旧共同租界の 南端に位置したこの建物は、1916年に建てられたマクべイン・ビルとされています。

    編集注:設計はMoorhead&Halse(馬海洋行)。後にアジア石油社(Asiatic Petroleum・亜細亜火油公司)が入り、名称もアジア・ビル(亜細亜大楼)に変わりました。アジア石油はシェルとロイヤル・ダッチの合弁子会社(本社ロンドン)で1908年にこの地に支社を設立。バロック様式を主としますが各種様式も織り込まれています。現在は中国太平洋保険公司が入っています。


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