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客家の故郷を訪ねる旅  1999・4月

「客家は客好き」

  広東省梅州市。客家(ハッカ)の故郷である。ここの住民はほぼ100%客家人。経済特区がある汕頭(スワトウ)から北に約150kmほど行ったところにある小都市。幸運なことに2人の客家人に案内してもらい梅州市を探索することができた。

@ 客家の街 - 梅州市)
  梅州市の人口は約100万人強。中国の都市の中では小規模の部類に入る。街もこれといった特徴はないが、比較論で言えば、こんな小規模都市の割には街並みはきれいで、おしゃれな海外ブランドの店も多数見受けられる。客家の海外組と少なくとも関係があるのは間違いなかろう。
  これといって娯楽のない梅州市民の楽しみは、家族との川沿いの散歩や路地で演奏されている客家古典音楽を聞いたりすること。車の量も少なく、人々も静か。中国に独特の騒々しさはここではあまり感じられない。また、電気屋さんに近所の連中が集まりビデオ鑑賞している姿などはノスタルジックな雰囲気をかもし出していおり、古き良き時代を彷彿とさせる。

A 客家式住居)
  私がまず最初に案内してもらったのは客家の住居。町中から一歩足を踏み出し農村部を訪ねると、そこには古来より伝統を守り生活を続ける客家の人々の暮らしがある。彼らの住居は囲籠屋(ウェイロンウー)と呼ばれる共同住宅で、完全な円形式と半円式、方形式に大別されるが、私が訪ねたのは半円式のもの。外敵から身を守るというのが建築の基本概念らしく、外から見ただけでは中の様子はまるで見当がつかない。
  門をくぐると、確かにそこにはよそでは見られない生活空間が存在している。人が暮らす建物と灌漑池とが半円形で向かい合っており、その中心には客家式神棚とでもいうべき先祖を祀る場所がある。(この建築方式は半円形式のものでは普遍的なものらしい)住民も同じ客家人の案内による訪問だとわかると快く私を受け入れてくれ、親しみをもって質問に応じてくれる。今でも人が住んでいるものと人が住んでいないもの両方を見せてもらったが、驚くことに人が住んでないほうがきれいに補修され、建物や伝統的な様式まで完全な形で残っている。
  印象深かったのは約1000年の歴史を誇るある無人の建物が国の文化財に指定されているものでも何でもなく、一組の老夫婦によって守られているということ。永い歴史の中で外敵との闘争に耐え、近いところでは文化大革命の時、中央の社(やしろ)は破壊され、建物自体も燃やされかかったそうだ。炭になりかかった柱が今でも建物を支えており、驚愕した。
  聞くところによると、海外に出ている華僑客家人の寄付によって補修を行い建物を維持しているらしい。社のそばには世界各地から寄せられた華僑客家の寄付者名簿が所狭しと並んでおり、客家人の団結心の強さを感じさせる。彼らは年一回旧正月時にこの地に帰ってきて同胞の安否を確認しあい、また、去っていく。旧正月の人口は少なくとも普段の2倍にはなるそうだ。厳しい海外生活で成功者となる者が多い客家人の心のふるさとがまさにこの地なのだ。

B 客家の人)
  私を案内してくれたのは張健氏と張良鋒氏。二人とも20才前半の若者で、生粋の客家人。今回の訪問は私にとっては憧れ?の客家人と親しく会話をかわせるよい機会だった。彼らはそもそも私が泊まったホテルの従業員だが、私が日本人だとわかると、客家式住居をどうしても訪ねたいという私の願いを聞いてくれ、仕事が終わった後一緒に同行してくれることになった。(ちょうど早番だった)もともと客家は外敵に対する警戒心が強く、外地人である私が客家式住居を訪ねるのは多少面倒が起こる可能性があるためだ。
  彼らは3つ以上の言語(北京語、広東語、客家語)を話すが、これは至極当然のこと。この他、故郷に錦を飾ろうとする者にとっては英語を話すのが常識となっている。生まれながらに言語能力に優れた環境に育ち、偉大な"兄弟"を持つ彼らの大志もまたでかい。
  いったん親しくなると本当に面倒見がよいのが客家人の血らしい。客家式住居を案内してもらっただけでなく、名所旧跡や街を案内してもらったり、食事を一緒にし、夜遅くまで大いに語り合った。

C 客家アラカルト)
  ・客家は約二千年前に黄河流域から南下、広東・福建省を中心に居住地域を持つ生粋の漢族の末裔で、彼らの独特の習慣とハングリー精神は世界的にも有名。特に海外へ出て華僑として活躍する客家は多くの著名な政治家や企業家を輩出しており、中華民族の中でも異色の存在である。
  ・客家の名の由来は・・・宋代に戸籍を作成した際、その土地に定住していた民を「主」とし、後から移り住んできた者を「客」と区別したことに由来する。要するに平たく言えば「よそ者」のこと。
  ・2000年客家の伝承。客家人は先祖の族譜(家系本)を大事に保管している。信じられないが、秦の始皇帝以来の家系譜を彼らは伝承として知っている。
  ・日本語に最も近い?客家語。「ありがとう」は北京語で「謝謝(シェイシェイ)」広東語で「ウムコイ」客家語で「シャシャ」。数字の「一二三四五六七八九十」は、
  北京語「イ、アル、サン、スー、ウー、リウ、チー、バー、ジゥ、シィ」
  広東語「ヤット、イー、サム、セー、ウン、ロック、チャッ、パ、カウ、サップ」
  客家語「イッ、ニー、サーム、シー、ウン、ロック、チット、パット、キィゥー、サップ」
  客家語は古代中国北方語の化石と言われている。日本語が形成される過程で、流入した中国語はまさにこの時代のもの。

D客家英雄列伝)
 によると唐の時代、"中原"から各地を経て四川に移り住み、大地主になったとある。
最近では、
孫文とその妻宋慶齢 ―辛亥革命の主導者。近代中国の国父。
ケ小平 ―改革開放のリーダー。表向きは四川省出身の中国人となっているが、ケ一族『興寧ケ氏家譜』
リークアンユー ―シンガポールの最高実力者
李登輝 ―台湾総統
コラソン・アキノ ―フィリピン前大統領
古いところでは、
朱熹 ―朱子学の創立者
洪秀全 ―太平天国の乱の指導者
その他多数・・・。

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