貴州の省都貴陽市のはずれに擺龍村(BAILONG)という村落がある。中国少数民族ミャオ族が住む村である。今回の少数民族を訪ねる旅は2日がかり。なかなかイメージに合った村が見つからず、名所旧跡をまわる予定を潰しての探索となった。
T)貴陽市
貴州は中国の中でも最も貧しいと言われている省。一人当たりのGDPは約312米ドルで中国全体平均の半分以下。しかし街中を歩くと、そのイメージは一変した。省都である貴陽市は人口260万人(=中国の省都の中でも決して少なくない)貧乏どころか市場には物資が溢れ、屋台も大賑わい。旧正月ということもあるのだろうが、それにしてもとても貧しいというイメージは全く当てはまらない。街中は高層ビルや高級車こそないが、暮らし向きは決して悪くはなさそう。
ディスコで年越し…。今年の中国の正月は16日、大晦日は15日であった。前日に知り合った貴州っ子が「いっしょに年越ししよう。」と言ってくれたので、家にでも招待され、中国の伝統的年越しが拝見できるのかと思いきや、連れて行かれたのはカラオケディスコ。しかも驚くことに中はしゃれた服で着飾った若者達で溢れており、満員の状態。ショーなども催され、予約なしの者は入れないという。ソフトこと違えハード面では日本の雰囲気と変わらない。思ってもみない場所で、中国の新年を迎えることになってしまった。
U)ミャオ族の村へ
少数民族の村村を訪ねることに時間を割いたのは、一番貧しいと言われている省の農村地帯を探索すれば、より鮮明に"地方間に存在する格差"を実感できると思ったからで、結果3市、3郷、8村を訪ねまわった。中でも上記の擺龍村は最後の最後にようやく捜し当てた村で、訪問地中、民族衣装を普段着で着ている数少ない村であった。それ以外の都市や村では伝統衣装に身をまとった人々を見かけるのは稀。
擺龍村は1000メートル級の険しい山道を走り、やっとのことで辿り着ける山間部の辺境地で、わらぶきの屋根の家が30軒ほどしかない小農村。道路は所々セメント舗装してあり、きれいに整備された井戸の隣に、村の管理所(市政府)なる場所がしっかりと存在している。
我々が入村すると村の若者達が興味津々集まって来た。あっという間に20人ぐらいの人垣ができ、質問合戦が始まる。思ってもみなかったが、小学校以上の者はすべて中国語を話し、私が日本人だということも解する。また、日本は中国と戦争をした悪者だ、という教育もご多分に漏れず受けているようだ。
学校はこんな辺鄙な山奥にもちゃんと存在し、初等教育が受けられる。中国は多民族国家として少数民族に対しては優遇政策をとっていると内外に大々的にアピールしているのだが、広大な中国のこの辺境の地に自ら立って、それがハードの面では真実であることをこの目で見てみると実に不思議でかつ驚きでもあった。
立ち話で意気投合したある青年の家の中に招待される。8畳程度の部屋が2つあり、屋根裏部屋が寝室。ターバンのような黒い民族帽子をかぶった婦人と挨拶を交わす。(この村の婦人はシャイで、写真を一緒にとってくれるまでかなり時間がかかった。)
小椅子に腰をかけ、横を見るとギョッとした。牛がいる。ムシャムシャとごく当たり前にわらを食らっている。水牛だ。今日は中華人民共和国の大晦日(祝日)で牛も人も休みらしい。少数民族には彼ら自身の祭事があるが、"中国人"としても彼らは漢族の風習を受け入れ、ともに新年を祝う。
彼らの中国人としての意識付けが本格的に始まったのは1978年の改革開放政策以来で、それまではこのような山奥の辺境の地には道もなければ、学校など存在せず、もちろん日本なんていう国の存在なんて知る由もなかったであろう。また、漢族は知っていても自分が中国人だという意識など毛頭なかったに違いない。ここ数年の中国経済の発展に伴い、かなりの猛スピードで少数民族と漢族の融合が進んでいる様子がうかがえる。
チャーター車の運転手もこの村に来たのは始めだったらしく、辺境の地の舗装道路や村の様子を見て開放政策がもたらした効果は本当に大きいと改めて感動したようで、ケ小平はわが国の偉大な指導者である、と誇らしげに語ったのは印象的だった。
V)都市部と農村部
今回の旅行を通じて実感したのは都市レベルで言えば、広州・上海等の沿海部の超大都市を除き、一般人の地方間の生活水準隔差は限りなく縮まってきているのではないか、ということ。所得格差は大なり小なりあるが、どの都市に行っても豊かさを感じる商品の品揃えで、食べているものも、着ているものも(センスさえ問わなければ)カラフルで自由で、悪くない。7年前の中国旅行では中国の人々=人民服という強烈なイメージを覚えているが、今では彼らの姿もめったなことではお目にかかれなくなってしまった。
ただ、農村部と都市部の格差はどんどん開いていることも事実だろう。農民の年間平均所得は現在約2000元(約3万円)都市部の約3分の1である。郊外の農村や町に行けば、身なり一つをとっても都市部との格差は一目瞭然。特に貴州農村の建物や生活スタイルは原始的で、みすぼらしい。因みに米の小売価格は1s約1元〜2元(約15円〜30円)で、卸売り価格は当然この何分の一かになる。所得がいかにも低く、1元を必死に値切る人民がいるのも当然か。
格差はある。しかし貧困ではない(と私は思う)。古来中国が抱える貧困とは"餓え"であった。開放政策後、"餓え"の恐怖は過去のものになった。農民の所得は20年前の約10倍となり、デパートなどで物を買うときの特別優遇だってある。贅沢さえ言わなければ三度の飯を食って暮らしていける。現在の中国は歴史上、餓えの恐怖から人民が開放された数少ない平和な時期であり、そういった観点から見れば、今は農村部に暮らす人々にとっても根本的な意味でもっとも豊かな時代とも言える。
しかし"食える"ことが当たり前のことになり、彼らは今後、都市部の人間同様"豊かになりたい願望"を訴え始めるであろう。元来彼ら8億の農民は実は中国の潜在的パワー(畏怖感や巨大市場)の根幹であり、中国が大国たる根幹でもあるのだ。
これ以上の中国の経済発展は世界がもっとも畏れること…。世界的エネルギー問題や食糧問題がある。でも、彼らの消費が世界経済を救う日が来るかもしれない?、人口増加で食糧危機が再び起こったら?等々…。自問自答が続く。まだまだ私の中国感が形成されるのは時間がかかりそうだ。
 ミャオ族の人々。隣のおばさんはビデオムービーをカメラと思いずっと仁王立ちのまま。 男性(左二人)はわざわざ伝統衣装と楽器を持ってきてくれた。
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