| TOP/エクスプロア中国トラベル/中国は広い! |
|
|
|
そしてシャングリ・ラへ
朝一番のフライトで、今回旅行の最大の目的であるシャングリ・ラ=迪慶地区に到着する。
ここは、今回旅行のこれまでの訪問地とは全然違う。まず標高。シーサンバンナは約550m。昆明は約1900m。ここは約3200mである。このため温度も全く違う。シーサンバンナは日中30度を超えた。昆明も25度まで上がった。当地では20度くらいまでで、夜はかなり寒くなる。そして景色が全然違う。シーサンパンナの熱帯雨林、昆明の都会的風景に対し、ここは草原と山とヤクに囲まれた世界である。
ここでシャングリ・ラという言葉について説明しておこう。 「第二次大戦中に中国―インド間飛行中の飛行機が不時着し、生き残った3人のアメリカ人パイロットが見たのは、永遠、透明、平和が支配する雪と草原とチベット人の土地であった。3人のアメリカ人はチベット人に助けられ生活し、最後は故郷へ帰っていく」
というものである。 『走中甸』(雲南人民出版社)にその後の経緯について詳しく書かれている。ややわかりにくい記述もあるのだが、同書による説明の概要は以下のとおりである。 小説は話題となり、映画化もされる。「この美しいシャングリ・ラ」という歌も作られた。1971年にシンガポールにおいて最高級ホテルの名前として採用されるに至り「シャングリ・ラ」は誰一人知らない者はいない単語となっていく。「シャングリ・ラという言葉に相応しい場所はどこか」ということが長い間話題となり続けてきたが、特定されずに時が過ぎていった。しかし95年、雲南省のある旅行会社職員が、あるきっかけでThe Lost Horizonに「シャングリ・ラという言葉は中国西南のある地区のチベット方言である」と書かれていると知り、「シャングリ・ラは雲南のチベット族居住地にあるのかもしれない」と考えた。彼は調査を開始し、迪慶州及び中甸県のチベット族幹部より、「高僧が「迪慶」という地名をつけた。チベット語で「迪慶」という音は、シャングリ・ラの同義語である桃源郷を意味する」との発言を得た。96年にシンガポールのマスコミ・旅行業界関係者12人が迪慶に調査に入り、帰国後、迪慶地区の宣伝を行った。雲南省も迪慶地区を観光資源として開発することに力を入れ、97月9月に「シャングリ・ラは迪慶チベット族自治州にある」と宣言した。このニュースは地球を巡り、世界中の注目となった。
町を抜けると草原地帯となる。牛やヤクの放牧が行われている。ところどころでチベット仏教の塔、ポコタンがたっている。車は少しづつ坂を登っていくが、小高いところから川が緩やかに流れヤクがのんびりと草を食む谷を見下ろすと、そこには平和で、ゆっくりと時が流れる世界があるように思えてくる。この景色がまさしく「永遠・透明・平和が支配するシャングリ・ラ」なのだろう。
車はさらに坂を登っていき、手元の標高計で3700メートルを超える。空気が薄いせいなのか、ラサでの辛い経験がよみがえり「自分は高山病になりやすい」という先入観なのか、なんとなく頭が痛くなってくる。雲の中に入り、辺りは真っ白でよく見えない。
ただ思ったのは、この自然の景色が今後どのくらいもつのかということだ。去年来ればさらによかっただろうと思うと同時に、来年再び訪れた時には同じ景色はもはやない見られないだろうと思う。新彊ウイグル自治区の天地ほどではないにしても、ここも世俗化されつつある。開発をするにしても自然を充分に残しつつと切望したい。 帰りかけにチベット族の家を見せてもらい、中甸に戻る。 |
Copyright Since 1998 Shanghai Explorer