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スーパー食いしん坊達

9-大人の誘惑


 今でこそ「この○○(料理名)は上海でもトップレベルだと思う」などと物知り顔で知ったかぶりを言うようになったが、日本にいた頃は中華料理と言えば、××飯店のラーメン定食か△△軒の餃子セットくらいしか食べたことがなかった。だから上海へ来た当初は中華料理屋に行っても、何を頼めばよいかすら分からなかった。また中国語も喋れなかったので、店員との意思疎通もままならない。会社の現地スタッフに「この店の人気メニュー2品と白飯下さい」と紙に書いてもらい、店に入るとメモを差し出していた。

 こちらへ来てかれこれ2ヶ月が経過した頃、あるお客さんに紹介してもらった店に一人で行った。住宅地の一角にあるその店は、今は各種日本語情報誌で紹介され日本人客が多くなったが、当時はまだ日本人客もまばらだった。混み合う時間を避けて店に行ったのが裏目にでてしまい、客は僕だけ。しかもあのメモを持ってくるのを忘れているではないか!僕ははかなり焦った。ありったけの外国語能力を駆使し、真顔で「あの~、Do you have 菜単 ありますか?」と質問したほど焦っていた。そんな時、妙齢の女性が「どうしました?」と少したどたどしい日本語で声を掛けてくれた。僕はまだ焦っていたのだろう、「I want to order めし。但是、我不会speak 漢語at all.だから、助けてください」と口走っていた。

 少し怪訝な顔(こいつ一体何者?的な顔)をしながらも、彼女は笑顔を崩さず優しく僕に「おいしい蟹があるの。試してみる?」と言ってきた。女性の誘いとゴルフの誘いには滅法弱い僕は二つ返事でOK。程なく出てきたのは、白い皿にそっけなく乗せられた、炒められても蒸されてもない緑色の美しい蟹だった。一見生のようだが、どうもそうではないようだ。彼女はそのまま食べればいいと微笑みながら言う。あらかじめ食べやすい大きさに切られているので、確かに食べやすそう。でも何か変だ。異様に水分を含んでいる。更に少し甘い香りもする。一口食べる。はじめて体験する味だった。案外さっぱりしている。味噌が溶けるように舌に絡む。味噌の甘みが口の中に尾を引くように長く残る。ほのかに甘い香りも口一杯に拡がる。普段ジャンクフード三昧の僕にもこの複雑な味が理解できた。陳腐な言葉だが、奥行きのある深い味と言うのが一番的確な表現だろう。すこしキザに言えば大人の誘惑といったところか。誘惑に負けた僕は、文字通り蟹をしゃぶり尽くした。一体この蟹は何?そして僕の横のテーブルで優しく微笑む彼女は一体誰?彼女の笑顔のせいだろうか、顔がすこし火照ってきた。

 店を出る時、蟹は紹興酒に漬けた酔蟹であること、この酔蟹はいつも有る訳ではないこと、彼女は日本滞在経験のある店のオーナーであることをが分かった。そして顔が火照っているのは、彼女のせいではなく、下戸の僕が紹興酒に漬けた蟹を食べたからだったことが分かった。

 先日、「酔蟹をアテにして飲むこの店の名物である壷から汲んだ紹興酒は、上海で1番」と左党の友人が物知り顔で言っていた。そう言えば、彼も僕と同じ時期に上海へ来た仲間だった。

鮮箸坊
場所:仙霞路15弄聯建新村30号
電話:6259-5173
酔蟹:一只15元

(修行僧)


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