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| ゴジラママからの手紙(上海子育て奮闘記) |
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1.プレイグループについて 一つは日本人の友人のなかでつくったプレイグループで、やっぱりここが一番親も子 も楽しかった。子供同志は毎週合っているうちにすごく仲良しになって、すっかりご無沙汰になった今ですら、たまに会うと「わーっ」といって「ま、懐かしいわね、元気だった?」、という言葉が喋れたら言いそうなくらいの勢いで遊び始めます。親のほうも同じ日本人同志とは言え、子育てのやり方なんかでお互い刺激になったし、人数も6、7人いたため、いろいろと情報交換ができてほんと有意義だったと思います。これは、ゴジラを含め3人の友人が「始めようか」と話して、それぞれの友人を誘ったりしてつくった自発的グループです。 そしてもう一つ、ゴジラは西洋人のつくっているプレイグループに参加しました。ゴジラはもともとSEAという、上海に住んでいる外国人が情報交換や助け合いの目的でつくった会(ただし共通語は英語、相当の人数が登録している)に入っていて、ここでそのプレイグループがあることを知り、それがまたたまたまミニラの年頃のものがあったので参加しました。ゴジラはSEAに入っていたとは言っても、幽霊会員(会報だけ受け取り、行事には参加しない)、英語もしどろーもどろーだったし、はじめはそんなつもり全然無かったのですが、ミニラを抱えながら何かできることはないかと考えたとき、「これは無料の英会話学校、一挙両得!」などと考えて参加してしまったのです。 …しかし、甘かった!最初は本当に辛かったです。毎週その日になるとまだ赤ちゃんのミニラに向かって「行きたくない、行きたくないよー。でも行かなきゃね。お母さんがんばる!」などと鼻息荒く気合を入れてから向かっていました。何といっても英会話学校じゃないんだし、みんなそれぞれ情報交換や気楽なおしゃべりがしたくて集まっているのに、ゴジラのしどろーもどろーの相手なんかしてられませんよ。でも時々話題をふってくれることもあって、「あなたたち日本ではどんなベビーフードあげているの?」などと聞かれても、ゴジラにこにこして「イエス。」なんて答えたりしていました。そうすると向こうは今度は2分の1くらいゆっくりのスピードで再度質問してくれたりするんですが、そうするとそれまでのまわりの会話のテンポというかリズムというか、ゴジラのところでその流れが突然止まるのが分かるんですよね。それってつらい。とてもつらい。そういうのをのりこえてゴジラここまできました。今はすっかりペラペラ…って言いたい所ですが、それよりも、周りの人になれたというか、これまで白人とか黒人とか見るとにこにこしながら後ずさり…というところがありましたが、そういうのはなんとか無くなりました。それから会話の内容も、「なーんだ日本人と大差ない話題を話しているんだ。」ということが分かってきたというか。要するに外人コンプレックスみたいなのだけはなくなりました。英語は相変わらずしどろーもどろーですが、周りも私のそのレベルに慣れてくれたって感じですかね。 ミニラにはゴジラが以前抱いていたような「西洋人はえらくてアジア人は下。」という先入観をもってほしくないな、と思っていて「要するに同じ人間でしょ。」というふうに感じてほしかったのですが、ミニラがどう感じていてどんな見方をしているかはもう少し時間が経たなければ分かりません。少なくとも、ミニラが英語を話せるようになったかといえば、今ミニラが話せる唯一の英語は「ノー!」です。これは既に中国語では母を超えようとしているミニラからすれば「ちっとも頭に入っていなかった」というのがほんとの所でしょう。
このSEA以外でも、結構多くの西洋人がプレイグループを作っているようです。もし知り合いに誰か西洋人がいて、その人に子供がいなくても友達の友達、とかで知っているグループがあるかもしれません。聞いてみる価値あり。
2.幼稚園のプレスクールについて
TINY TODS
KINDER WORLD
モンテッソーリ幼稚園
内容はだいたい歌をうたったり、それに合わせて踊ったり、絵を画いたり、自由遊びをしたりといったものです。 (玉乃 わいん)
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