エクスプロア上海 上海TOP連載記事ゴジラママからの手紙(上海子育て奮闘記)

ゴジラママからの手紙(上海子育て奮闘記)

【85】毅然とした態度とは何か


 びろうな話で申し訳ありませんが、みなさん、トイレ全開の癖、ついていませんか。ゴジラはそうです。どういうことかと言いますと、トイレのドアを閉めて一人で入ろうものならミニラの大泣きにあい、仕方なく、ミニラから見えるように、全開にして入るか、ミニラともに「つれ何とか」をするかどちらかだったんですね。「つれ…」のときもなんだか2人だと狭苦しくてやっぱりドアを開けていたんです。今でもゴジラがトイレのドアを閉めてはいると、ミニラはさすがに泣きはしないものの、「ふんっ!」て鼻息を鳴らしながらドアをバーンと開けにきます。そしてドアを閉められないように立ちふさがります。ま、結局全開なわけですよ。で、それはまだ良いとしても、ミニラがいないとき(昼寝のときとか、テレビや遊びに夢中になってついてこないときとか)でも、ドア全開の癖が抜けない…というか、無意識のうちに開けておく癖がついたんですな(もちろん家でだけよ、それに大きいときは無意識に閉めます、念のため)。情けない。女捨てていると言われるゆえんか。この間なんか、ドア全開の最中、アイさんが用事があって戻ってきてしまって(ゴジラはアイさんがもう帰ったもんだと思っていた)、「太太、鍵はあそこにおきました…」のなんのかんのと言うじゃないですか。アイさんは中国人、かつてのオープン式トイレや「個室でもドア全開」にあまり違和感はない。ちょっと恥ずかしそうな顔をしながらも私を見下ろしながら話しているではないですか。あー、やですね。ゴジラともあろうものが弱みを握られてしまったって感じ?!

 余談が大分長くなってしまいました。(前段は余談、忘れてください)。ゴジラはどうもミニラの大泣きに負けることが多いと言うことに最近気づきました。これは友人の一言「あんた、どうもこの子になめられとるで。」という台詞によるものです。そう、ゴジラはなめられている。ミニラはすっかりなめている、この母を。しかし、振り返ってみると、ゴジラは決して優しい母でも甘い母でもない。それじゃどうしてなめられるかと言うと、ゴジラの中にある「迷い」を見抜かれているんです。つまりゴジラは一回「だめ」といいながらも「んー、このくらいのこと禁止してかわいそうかな。一回くらいやらせてあげようかな。」とか「ここで大泣きされたら面倒くさいな、それならやらせてあげたほうがましかな。」とか「あ、でもやっぱり一回させたらくせになる。」とかぐらぐらゆれているんですね。それをしっかり見られている。ゴジラの中に確たる基準がないせいもあるけど、基準なんて「私が面倒くさいから」でもなんでもいいんだと思います。自信をもって「だめ」とか「やりなさい」と言ってそれを貫く。そうするとなめられないんじゃないかと、近頃気づきました。現実にそういう友人のお子さんはあまりぐずらない。ま、ぐずらない子だから出来るのかもしれないけど、やっぱり親がぐらぐらしていたらだめですね。「私が法律よ」くらいの態度でなくちゃ。子供は本当によーくみてます。「今ここでひと泣きすれば、いける。あとひとおし。」くらいのことは思っている。これまで育児書などで「毅然とした態度をとりましょう」とか書いてあって、毅然とした態度って?と思っていたのですがこういうことだったのか、と悟りました。結構育児に自信のないゴジラは「私の考えがあっているのかどうか…くどくど。」と考えていたのですが、これからはきっぱり捨てます。自分がそうと思ったら突き進む。うん。そう思いますわ。

(玉乃 わいん)


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