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| ゴジラママからの手紙(上海子育て奮闘記) |
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やあやあみなさん!日本にはとうとう1箇月以上滞在しました。ちょっと計算違いだったのはミニラが一週間くらいゴジラの実家に慣れなくて、ゴジラがちょっとでも視界から見えなくなると大泣きしていた事。じーじとばーばにもなかなかなつかず、ゴジラは一つも用事ができませんでした。それが1週間もするとコロッと慣れて、しまいにはゴジラに「ばいばい」しながらじーじと散歩に出かける始末。やっとゴジラもペースを取り戻す事ができたわけです。1歳過ぎの子供はそういう意味で敏感になるし、環境に慣れるための時間も取っておかなくてはいけませんでしたね。 でもやっぱり環境の変化っていうのは大きいのか、刺激があるのか、はたまた日本語ばかりの生活で分かりやすいのか、ミニラ成長しました。歩くのはもうすっかり安定したもんだし、お言葉も増えましたわ、ほほほ。なんていうか、ヘレン・ケラーにとっての「ウオーター」と同じように周りのものと「名前」っていうものの関連に気づいたんでしょうね。「まんま」も以前はただの音のつながりだったのが今では「食べ物」という意味で使っています。「ぱんぱん」は「パン」のことだし、「わんわん」とか「どうぞ」という単語も使いますね。これはやっぱり今までの日本語や北京語やら上海語やら時には英語やらが混じっていた環境から日本語オンリーになったのですから、急に一本化されたことがハードルを飛び越えるきっかけになったのでしょうね。そのほかテレビやステレオから音楽が流れると必ず踊り出す(腰もしくは首を振る)、飲み終えた哺乳ビンは必ずゴジラに返してくれ、ご馳走様のポーズ(手をあわせる)をする、本を読んでもらうのが大好きになった、などゴジラにとっては涙、涙の成長ぶりです。が、いたずらのほうもこれまた成長してしまったんですね。しかもいたずらの成長は他の事よりずっと早い。おまけにゴジラの実家はこれまで小さな子供が訪ねてきた事もないものですからまったく無防備。ミニラはホットカーペットの上で何度もおしっこをし(これはゴジラも悪かったっす)、障子を破り、食器棚から食器を出して二枚セットのガラス皿の一枚を割りました。ある時テレビの電源をつけたり切ったりしているミニラを見つけたばーばは「テレビまで…!」と言ったまま絶句しており、後にゴジラは「もしテレビを壊したら弁償」という約束を取りつけられました。 まあこのように成長の階段を一段上ったミニラ、これからもいろいろやってくれそうです。 日本でのスケジュールというと、麻疹の予防接種は無事終え、はかせるおむつもしっかり買いだめできました。日本ではいろいろ便利なものが売っていて、動き始めた子供の急な飛び出しを防止するためか、はたまた犬のように固定しておくためか、「安全ひも」なるベルト式のつなぎひもとか、バギーにつける着脱式のポケットとか、大人の椅子に座っても安定させる事ができるベルト、とか売っていました。この椅子のベルトは便利だからゴジラも購入しました。レストランで子供椅子がなかったり、家にお友達の子供がおおぜい来たときとか便利ですよね。そうそう、ミニラのあごが荒れてしまってかゆがって血がにじむひどい状態になっていたので日本で病院にいきましたら「あーあーかわいそうに、どんな薬つけてたの?」ときかれたので「アロエの軟膏をつけていました」と答えたら「アロエなんてもってのほか!」と即座に否定され(ゴジラが独断でつけていたくすり)、ここまでひどくなったら早く治さなくてはいけないということでステロイド剤入りの薬を渡されました。なんでも食後ちゃんと濡れたガーゼでなどで口の周りを拭いてあげなければならなかったとのことで「乾いたハンカチとかで拭いても汚れをこすり付けるだけだから」と注意され、そのとおりのことをしていたゴジラは何も言えませんでした、皆様気をつけましょう。 上海に戻ってからのミニラはやはりひどい人見知りになりました、同い年のお友達とかそのママ達とかこわがって公園とかいやがります。これは覚悟していましたし1週間程度の事と思いますが、誤算だったのは、急に年配者の人の事を好きになったこと。ちょっと声をかけてもらうと抱っこをせがんだり、日本のじーじに似た風情の宅配のおじさんを追いかけていって、帰ってしまったら大泣きしたりしているんですよ。そーだよねー、まだ日本だとか、実家だとか、上海だとか、分かってないもんね、ごめんね、ミニラ。
(玉乃 わいん)
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